VCは悪者にされやすい傾向にある。なぜか? 日経産業新聞の記事でもあるように、「VCと経営方針で対立し、資本の論理で負けた」というようなことを書くと、興味を引く内容になる。 VCの責任するのは簡単なのだ。ただ、それでいいのだろうか?
例えばプロスポーツの例で考えてみよう。主力選手と監督のような関係だ。 選手が監督と起用方針で対立し、スポーツ新聞 等で話題になるケースがよくある。 スポーツもサッカーも出場できる選手数は決まっている。同じポジションは1名だけだ。 監督が主力選手を外す場合は、短期的には「調子が悪い」ということもあるが、時には「衰えた」とか「他とのコンビネーション」とか「もっといい選手がでてきた」といったようなことがある。 外された主力選手は、人気のある選手であり、自分の能力の自身があるケースが多く、マスコミに対して、起用されないのは不満だ!といったようなことを口にする場合がある。しかし、本当に尊敬できる選手とは、不平不満をいわず、もくもくと練習し、チームために貢献する選手だと思う。
監督は自分の好き嫌いで、選手の起用を決めているのか?といういえばそうではない。選手の能力やモチベーションを考えたり、不満や戦術に関して意見を聞いて、総合的は判断をしているはずだ。 世代交代とか若返りといったことはプロスポーツの世界ではよく起きることだ。
会社経営においてはどうだろうか? 創業メンバーのベテラン と 後から入った実力のある若手をどう扱うか? といったことはベンチャー経営の人事の問題としては非常に重いテーマだ。 悩む経営者も多いだろう。 日経産業新聞で取り上げられたケースはまさに世代交代の話だ。 中心選手だった人が衰えに直面し、出番がなくなったということだ。
プライドの高いベテラン中心選手は、起用方針の不満を持ち、移籍し、マスコミに不満を言うという話なのだ。 主力選手は「まだ俺の力が必要だ」という気持ちだろうし、他の選手や監督はそうではないという典型的なケースだ。 日経産業新聞の特集ではないが、新天地で頑張るというのは実に良い話だと思う。
VCのような外部資本は、プロスポーツ同様、「勝利」をもとめている。ベンチャー企業がVCから資金調達するのは、「勝利」するためであり、それ以外の目的ではない。
資本主義を追求すると、プロスポーツと同じような考え方になる。特にチームスポーツとは類似する点が多いと思う。 このことを「資本の論理」というのだろう。言葉を変えると、競争主義だったり、競争社会といったことだ。
通常の仲良しスポーツサークルではない、多くの外部資本が入っている会社は、プロスポーツチームと同じだと思う。
「資本の論理」に負けた ということは、意味するところは競争力がない という定義になる。 安易に使うものではない。
非常に厳しく、ドライにように思うかもしれないが、プロスポーツのように厳しい世界だからこそ、見ている人は面白いし、 選手も刺激的で楽しいのだと思う。 レベルの高い環境に身をおきたいといって、イタリアに移籍するサッカー選手や大リーグにいく野球選手がいるのだ。 このようなことは会社経営でも自然に起こってもいいことだと思っている。
厳しいが、この厳しさと刺激が楽しいと思う人が、VCから資金調達するようなベンチャーの起業家として向いていると思う。