ふと、自分のキャリア論を考えてみました。
何が転機だったのか?
①東大を目指そうと思ったとき。
高校1年生の後半くらいに大学どこに行くのかなと考えていました。私の出身高校は埼玉県の県立春日部高校(ちなみに日テレの長谷川ケンジ アナと同級生)出身なのですが、東大に行く人は年間3-5名くらいの高校でした。 高校1年の時の成績は学年で100番くらいでした。
何を思ったのが、行くんだったら1番が良い と今思えば意味不明なことを考え、まじめに勉強しました。 当然ながら、担任の先生など、「おまえ 馬鹿か。 無理に決まっているだろ」 という話でした。 高校3年生のときのテストの結果は、東大合格率なんて20%以下(つまり一番下)でした。 でも、現役のときは東大一本! ということで受けました。
こんな無謀な試みを許してくれた両親に感謝しています。
結局、現役はダメでしたが、浪人のときにテストを受けてみると合格率60-80%くらいまで上がっていた(なぜだからわからないが成績が良かった)。 2回はしっかり受かった。
浪人するまでは我流で勉強していたが、普通に予備校に行ったら成績が良くなったという
ことなのでしょう。
②大学時代のサッカーサークル
大学に入学したもの、ほっとしすぎて、勉強もせず、よくわからないようになりました。成績もギリギリで進級できたくらいです(本当にヤバかった・・)。
大学1年生の後半に、俺は何をやっているのか? とふと思い、大学時代に何かやろう!
ということで、いきなりサッカーでもやろう!と考えました。ちょうど1年前にJリーグが始まり、サッカーって面白いよな とか、 大学の体育の授業でサッカーやっていて楽しかったということがあり、いきなりサッカーチームを作ろうと思いました。
私は別にサッカーをやっていたわけではありません。中学までは野球。高校は真面目に勉強していた という人間でした。
折角やるんだったら、強いチームが面白いだろう ということで、ふらふらしていうサッカーのうまい人間を徹底的にスカウトしました。大学一年生の1月くらいにチームを作り、4月の新人もスカウトし、チームを作りました。
結局、3年かかりましたが大学で一番強いサークルになりましたし、サッカーマガジン杯という強豪チームが集まる大会(128チームくらい参加?)ではベスト16になりました。
こちらも東大に行こう! と思うくらい、無謀なことだったと思うのですが、メンバーの方に支えられて頑張ることができました。
サッカーチームを作る ということが今のキャリアにつながる第一歩でした。
③学科選択
サッカーばかりやっていこともあり、成績は低く、ギリギリ進級することになりました。
私は理科一類でした。 進路選択は成績と希望によってきまります。建築学科とか物理とか、都市工学 とか人気のある学科でしたが、当然ながら私は成績が悪いので人気の学科なんていけませんでした。選択肢は3つしかありません。船舶海洋工学科、材料工学、原子力工学 です。 はっきりいってどれも興味ありませんでした。
留年して勉強して、人気のある学科に行くか とか考えましたが、ふと、学校においてあった就職案内を読んだところ、面白いと思ったのが、マッキンゼーやアクセンチュア(当時AC)といった経営コンサルティングという仕事でした。 サッカーサークルを立上げ、チームをマネジメントするという点で”経営”という仕事は面白いと思っていましたし、いきなり社長にはなれないから、経営コンサルタントのような仕事っていいよな という単純な発想です。
いろいろ考え方、結果。
・経営に関係する仕事がしたい。経営コンサルタント会社に就職しよう
ということになり、工学部より経営の勉強をしたほうが良いと思い、経済学部に転部も
検討しましたが、1年留年する必要がありました。 1年留年するのは無駄 だと
思い、 勉強しなくても卒業できる学科に行こう という点 と 子供ころからお城が好き
だったことがあり、構造物関係が良いよな ということで船舶海洋工学科に進みました。
別に工学部の勉強はせず、日経新聞や日経ビジネスを大学で読んでいる変な学生
でした。
実は、経営コンサルティング会社に就職するって難しい というのは知らなかった
です・・・。
④インターネットとの出会いとベンチャーとの出会い
新路選択もあり、学科の授業がはじまりました。インターネットの授業というがあり、メールの使い方とか、学びました。 当時はUnixのワークステーションを使っていました。95年です。Win95が登場し、 インターネットも普及し始める年でした。
ブラウズはまだ大学ではモザイクでしたが、Netscapeがすぐに登場し、使っていました。
世界の情報をいろいろ見ることができる、コミュニケーションが簡単にできる と可能性を感じました。 当時PCといっても30-40万円しました。 海外旅行でも行こうともって思ってお金をためていたのですが、 これからはインターネットやITの時代ということでパスコン(IBMのアプティバでした)を購入し、自分でウェブサイトとか作ってみました。
インターネット言えばベンチャーです。 日経ビジネスや週間ダイヤモンドにはシリコンバレーの特集記事とかあり、これは面白いと思い、 ベンチャーで働こうと思いました。
たまたま、学科の先輩の内山さん(当時 博士課程。現在ホットリンク社長)に誘われ、
ニッポンサーチエンジンという日本初?のサーチエンジンを作っていたマジックマウス
という会社に参画しました。 原宿のマンションベンチャーです。マンションで寝泊りしながらいろいろ仕事していました。現在はデジットという会社になっています。当時学生の力を活用してシステム開発をしていたのですが、学生を派遣するというビジネスができないか
ということをやっていました。学生側の開拓は私が担当しました。とりあえず、ウェブサイトをもっている大学生に片っ端からメールを送りました。今思えば、大学のメールアカウントを使ってビジネスをし、それもDMでした・・。 何百人か集めました。
別にプログラマーでもないでし、人材派遣やっていてもな と思い、面白かったのですが経営の勉強をしようと8ヶ月とか10ヶ月とかで辞めました。
学科の中では、 勉強もしないで何をしている? とか、 怪しいことをしている
という風に言われ、 変な学生でした。 もちろん、サッカーも真面目にやっている
わけので、勉強なんてしていませんでした。
⑤ベンチャー支援サークルや ケーススタディをするサークル
大学3年生のときに 経営の勉強をしようと思い、東大の片平先生というブランド系で有名になってしまった先生がいるのですが、そのゼミの学生の方が中心となっている勉強会がありありました。ゼミのOBの方が講師をやっていたり、P&Gの方が協力しているというサークルでした。 真面目に本を読み勉強していました。 あと、APENというベンチャー企業の支援団体というのにも参加しました。 今思えば面白い団体で、Zeelの尾関とか、いっしょにやっていました。 さすがに芸能人と結婚するとは当時思ってもいませんでしたが・・・・。 APENでは、アスキーの創業者の西和彦さんの講演会をやったり、
いろいろばVCの方にインタビューし、ウェブにアップするといったことをやっていました。
現在 楽天の監査役の畑さんは、当時VECというところのいて、いろいろお世話になっておりました。 リサイクルワンの本田さんはAPENのメンバーでした。APENのメンバーだった、現在マッキンゼーの上田を通じて、大学時代にリサイクルワンの木南とは出会っています。
ネットエイジなどに顔を出していたりしたら、今は違うことをしていたんだろう とか、
尾関についていってら、サイバーエージェントさんとも縁があったんではないかと思いました。
いろいろ出会いをし、 ベンチャーキャピタリストになりたい と思うようになりました。
エンジニアでもないし、経営学科出身でもないので、もっと勉強しようということで
経営コンサルティング会社に行こうと思いました。
⑥ADLに行く
経営コンサルティング会社に行くといってもハードルは高いです。サマーインターンの試験・インタビューを受けましたが、落ちました。 全然ダメです。本格的な就職活動をしても、BCGとか、大手も軒並みダメという状況でした。 学科の人からも無理に決まっているじゃないかという意見もあり、大方そんな見方だっだように思います。
ADLは新卒採用2年目であまり知られていない会社でした。私は日経ビジネスを読んでいたので、 当時 ADLだった 梅田望夫さんの日経ビジネスに書いた 日本企業にシリコンバレーの活力 といったようなタイトルの4ページくらいの論考を読み、ADLって会社は面白いなと思っているところでした。 新卒採用をやっていることを知り、さっそく応募しました。 なぜか面接がうまくいき、ADLの方は非常に素晴らしかったので、内定を頂いた段階で即決定しました。 マッキンゼーなどのテストもあったのですが、サッカーの試合と重なったし、どうせ受からないから受けもしませんでした。
4月頭か3月終わりに内定を頂きました。普通は6月とかまでやっていのですが、就職活動は終わりにして、勉強することにしました。結局、4社くらいしか試験を受けていません。
4月から梅田さんが企画・運営をしていたADLの情報電子産業フォーラムに参加しました。シリコンバレーの話とか、非常に面白かったです。
が、一大ニュースがありました。フォーサイトを読んでいる友人が、梅田さんってADLを辞めて独立するらしいよ ということを私に言いました。なんと、ファーサイトに独立するんだ ということを書いてあったのです。 ガビーーン という感じでしたが、今後もADLは友好な関係で、情報電子産業フォーラムも継続するということだったのでちょっと安心しました。
梅田さんのブログで、今年の5月1日で独立10年 ということが書いてありましたが、10年前に私はガビーンとか思っていたわけでした。 当時、梅田さんとはちょこっと話したことがありましたが、昨年11月にお会いしたときは覚えていませんでした。さすがに昔の話だし、学生ですからね。
ADLではIT関係の経営コンサルの仕事だったので非常に楽しかったです。
⑦ インキュベーションの仕事
ADLの仕事は最初は楽しかったのですが、2年目は正直 つまらないというか、大変な時期でした。 あまり向いていないのではないかと思い、俺って将来どうなるんだろう とかいろいろ考えるようになりました。
転機が訪れます。 ちょうとネットブームに沸いた時期でマッキンゼーなど@マッキンゼーとなEビジネスのインキュベーションをする といかやり始めた時期でした。
ADLはハッチェリーという都築学園グループの運営するインキュべーションのコンサルティングをするようにあり、私はその担当になりました。 私は志願しました。
経営コンサルティングの仕事はやはり、大手のトップの企業の戦略を構築する といった仕事が良い仕事になります。 ハッチェリーって何?とか、実務的な仕事だったのですが、大学時代からやりたい仕事だったこともあり、志願することにしました。
ハッチェリーのときにアイスタイル社への投資の実行や リサイクルワン社の創業支援などを経験しました。 私は福岡で1人でインキュベーションの仕事を担当することにあり、
いろいろとやることになります。 ADLって何? ハッチェリーって? とかとにかく必死
でした。
一方、経営コンサルタントとしては本来の仕事ではないため、頑張ったところで社内の評価は上がりません。同期の人間が2年半とか、2年とかで昇格したのに対し、私は3年かかりました。3年たったときも、賛否両論あったそうで、ハッチェリーのプロジェクトのリーダーだった石黒さん(現在 ローランドベルガー)が一生懸命 押してくれてようやく昇進したという話を伺いました。 大変感謝しました。
ハッチェリーのプロジェクトは1年間で終わり(契約完了)、大企業向けのコンサルティングも戻るとか、 あとはビジネススクールに留学する のか 、あとは転職するか という選択肢でしたが、 ベンチャーの仕事は面白いと思い、 ベンチャーキャピタルの転職しようと思いました。 留学するのにも準備時間かかるし、コンサルの仕事は向いていないと思ったし、そして会社では評価されていないわけだから、転職しようということにしました。
ちょうと外資系のVCがいろいろ日本に出ていたのですが、英語できないとダメとか、
MBA必須とか、いろいろな条件があって、そもそもダメでした。ヘッドハンターからも
難しいといわれていました。
たまたま、グロービスのセミナーでベンチャー関係のセミナーがあり、参加しました。
現在の同僚の山中さんとお話する機会があり、ベンチャーキャピタルの仕事をしたい
ならば、グロービス・マネジメント・バンクの方がから紹介します という話だった。
当時 エイパックス・グロービスは難しいと思いますが・・・と山中さんに言われたことを
今でも覚えています。
仮屋薗さんや堀さんらの面接したところ、うまくいき、内定を頂きました。 ADLと
同様、即決しました。 堀さんと月曜日の朝食のときの面談だったのですが、そのあと
いっしょにオフィスに行こうと言われ、そのままお世話にありますという挨拶をしました。
しかし、ネットバブル崩壊後だったこともあり、いまさらVCいって大丈夫か?とか
心配を頂きました。
ということで、今に至ります。 2001年6月に転職し、2004年6月にパートナーになりました。実力というより、運が良かったです。
いろいろ書きましたが、私のキャリア論 というのは正直 飛躍が多く、どうなんだ?
と思うことがほとんどというかすべてです。
周囲から無理・無謀 と言われることが多い。つまり、変なヤツという見方をされ
ます。 最近は変わってきまいたが、投資する際も何で投資すんだ!という意見も
多いです。 普通には理解されない、孤独な人間なのです。
キャリアなど判断するときに重要なのは
ビジョンやコンセプトを描く
星野リゾートの星野さんではないですが、コンセプトが重要。ビジョンといっても良い
- 行くだったら日本で1番の東大行く
- 作るんだったら、一番強いサッカーチームを作る
- 海外にあるベンチャー企業の経営者が集うインダストリーカンファレンス、それも
オフサイトカンファレンスを作る(NILS)
- KPCB,セコイアのようなVCを作り上げる。
- Googleを超える会社を創る
とかです。 そもそも難易度の高い目標を設定している。
Googleを超える会社を創る とかブログに書くと、以前 そんなの無理だよとか、
おこがましいとかコメントを頂くわけです。 だいたいそういう風に言われることが
多い。
やると決めたからには、1番・1流になるという感じでモノゴトを考えているように
思います。
経験・実績ではなく、 タイミング。 やりたい時にやることが重要
実行重視。やってみないとわらかない。可能性を信じてやりぬく気合
が重要。 共感というか、自分が共感できない自分はダメだ。
周囲や常識を気にしない
周囲の意見や常識は気にしないこと。 当時の東大で、ベンチャーベンチャーといっている馬鹿は変人扱いだった。 大学生時代に孫正義さんのスピーチを聞いて、あとで名刺交換にいって、やったー! 孫さんの名刺だ! といっている馬鹿は他にはいなかった・・・。
といろいろ書きましたが、これからも頑張ります。